「再/生」

 佐々木敦氏のツイッターにて横浜STスポットで講演中であることを知り、ていうかそのツイート一発で観たくなり、昨晩HPをチェックしてみたら明日の講演の予約に空きがある。ほとんど勢いで予約。で今日、行く。東京デスロック「再/生」(多田淳之介演/出、デスロックver)。演劇を観るのはたぶん五年ぶりくらい。それほどふだん演劇を観ない自分だけれど、なにに手を伸ばすのにもまずきっかけってのは必要なもので、タイミング的にもちょうどよかったのではないかと。自宅にて一応「エ・クスポ」の多田淳之介インタビューにざっと目を通し、たまたま途中まで聴いていたポッドキャスト長塚圭史×佐々木敦対談を聞きながら会場に向かう。
 でもって、観て、感想。とても良かった。ものすごく心を震わされたし、楽しかった。演劇をそれほど観ない自分には「あれがどういう演劇か」という話はできないけれども、とにかく観てよかった。アフタートークで岡崎藝術座の神里雄大氏が「途中で眠くなった」と若干辛辣なツッコミを入れて、多田氏も「そういう風につくってる」みたいなことを言っていたけれども、根がミニマルにできてる自分にとっては眠くなるどころか一時も目が離せないほど興奮しっぱなしだった。途中で何度も冒頭の「幸せ」をめぐる独白、「過去において幸せではなかったけれども、じゃあ今は幸せなのだろうか」みたいな台詞が頭をよぎり、「再生」(ないしは「再/生」)の意味をぼんやり味わっていた。生/死をめぐる問題、というか、自分にはもっと卑近な、目の前でじわじわと汗をかいて息を荒げていく女性/男性に目を奪われたし、単純に大きな音が気持ちよかったりもした(自分は決してSではないけれども)。もう一回言うけど、やっぱり自分は根がミニマルにできているし、だから終始興奮がとまらなかったし、たまたま五年ぶりにみた演劇がこの作品でとても良かったと思う。何度でも観てみたいけれども、スケジュールの都合上もう観れないなと思う。こうした演劇の一回性の問題と自分のミニマリズムの問題にどう折り合いをつけていくべきか、さて、考えなければならない。