そもそも世界は粘着質を

 泉太郎「こねる」(神奈川県民ホールギャラリー)みてきました。いやあ、想像してた以上、抜群に面白かった。泉太郎氏の作品は以前にもこの会場で観たことがあったのですが(「日常/場違い展」)、今回のような個展は個々の作品の固有の強度がその通奏低音によって網目につながってより体が楽しめました。
 実はこの作品展に行く前に半ば偶然に考えていたことがあり、昨日の晩からtwitterで書評家の豊崎由美と作家の百田尚樹が「純文学」の「詰まらなさ」を巡って論争的なやりとりをしていて、その流れでトヨザキ社長が、わからない、面白くないにはいろいろなレイヤーがある、といった旨を書いていたのでした。現代アートについてもそれはそうで、大雑把すぎる言い方を承知の上で言えば、いやむしろ、わからないから良いのだと。全部が全部わかってしまうような表現(消費財的なもの)などは所詮それだけのものでしかないのだと。
 そういうことを考えていて、で観た「こねる」なわけですが、まずなにが良かったかって、わからないの前に徹底的に楽しませてしまうこと。高校生以下入場料無料のせいか制服姿の女子高生の集団が観に来ていたりしたのですが、彼女たちも全然作品を楽しんでいたように観えたし、なにより俺が楽しかった。そして、いろいろ感じさせられた。特に「生き埋め」。閉鎖された空間でリアルタイムで一対一で他人から注視されることが、あんな身体の不自由を感じるとは。あんな体験は普通ちょっと無いです。他にもつい噴出してしまうような作品だったり。ていうかもう一回行ってもいいくらい感銘を受けた展示でした。
 で別の話っていうかメモ。なんとなく立ち寄ったルミネで久しぶりの友人を見かけるもつい目を逸らしてしまう。なぜだ俺。まあ、会おうと思えばいつでも会えるのだけれど。あと偶然駅前の菓子屋の前で同僚を目撃。まともに会話したことないのでこちらも声はかけず。ギガ人見知り。横浜のビックカメラで台所の蛍光灯購入。駅前のニトリ(初)にて座布団カバー購入。二つ折りでは入らなくて畳んで詰め込む。あれこれ本読み。朝吹さんのやつは数ページ読んだだけだけどもうすごく良い。もっともっとやたらと本を読まなければならない。