テキストより写真が絶対的に優位だった頃

 少し前に買った『骰子』NO.10(1995.6)の特集が「インターネット」なんだけれど、なかでもまず目を引くのが「暴力温泉芸者のネットサーフィン体験記」という記事。もうね、タイトルからして時代感を感じまくりですよ。出来ることなら全文引用したいところなんですが、それはめんどいので、これはという一部分のみ抜粋。

おそらく音楽活動に役立てることはないだろうが(何故なら難しそうだから)、アルバムのジャケを作ったり位はできそうだから(本当はデザインの方が難しいのかもしれないが)。そんなことを考え始めるとマックでやりたいことが、マックのことなんかよく判ってない癖に色々と広がっていくのだった。そんな興味の対象の一つにインターネットがあった。

チョップ・ショップやイリュージョン・オブ・セーフティ、ヘイターズ等の音が聞けるコーナーがあり、その音が出る数分間じっと待つが、出てきた音がコーヒー・メイカーの音みたいなショボいノイズだったりするのでがっかり。ここらでインターネットに対する興味が半減。でもこれは仕事なので慌てて興味が持てそうなサイトを探してみる。

しかし、今だインターネットというマニアックなメディアの中で、どちらかというとオルタナティブなもの(音楽に限らず)が割と多いのが、何とも興味深い。メジャーなものとマイナーなものが同じように扱われるこの特異なメディアに少々希望を感じるが、画面が出るまでの遅さ等に失望した。僕が夢中になる位のものになるには、まだ時間が掛かりそうな気がしてしまう。

あらためて記しておくとこれは1995年6月の記事です。こうしてみると、時代というか状況は確かに大きく変わったけれども、逆に中原昌也という人のある意味での変わらなさが際立ちます。ちょうどこの頃は暴力温泉芸者を英語表記にし始めた時期でもあります。