思い込んだり、そうでもなかったり

 昨日は職場の元同僚の結婚式。だいたひかるの「どーでもいーですよ」のネタに「結婚式のあとの「いい結婚式だったねー」というありふれた感想」っていうのがあったと思うけれど、まあ昨日の結婚式もやはり良い結婚式でした。ただ、実はなにより感動したのが、新郎が現役のマンガ家であるということで、最後のスクリーンに映されるエンドロール(?)が新郎の手による披露宴の出席者全員の似顔絵という驚きの映像であり、幸せそうな主役を眺めて感動するのとはまた別の、ある意味もっと出席者の自意識をくすぐるというか、主役のお二人からこちらをきちんと見られているみたいなまた別の喜びがありました。とにかく楽しい式でした。(ただ二次会が終わって片づけを手伝ってから、敢えて三次会には出ずに一人で帰ってきたものの、駅までの帰り道が分からず、ものすごい強風のなか一人で知らない道をひたすら歩いている時のなんともいえない感じは、もっと別な事情(多くは僕個人の過剰な思い込みによるもの)により増幅されて、ようやく家に帰り着いてからも相当長いあいだ辛く引きずることになりました。)
 で今日は学生時代の友人の送別会。あいにくバイト明けだったんで短い時間だったけれど、行ってよかったと思います。数年間(6年くらいかな)会っていなかった人とも会えたし(あらためて考えると心のどこかでは彼女にはもう会うことはないんじゃないかくらいに思っていたかもしれません)、なによりいまだにこうして「つながり」的なものがあるということ、それ自体がたいへんに嬉しく感じたひとときでした。もちろん今日からもうしばらくは会うことがないであろう送別会の主役の友人とも、またいつか会えるだろうと、そんな希望に満ちたことを考えてしまう次第です。
 流れからすると蛇足かもしれないけど加えて。送別会に向かう行きの電車で伊藤計劃虐殺器官』ハヤカワ文庫版読了。感想などはいまの状態ではちょっと書けるようなものではなく。でもって、帰りの車内で大森望氏による解説を読んでいて、偶然昨日が伊藤氏の一周忌にあたることを知る。ある人が幸福のさなか、そうでない人もいるのだという当たり前のこと。けれども・・・。以下、『虐殺器官』より。

 世界はたぶん、よくなっているのだろう。たまにカオスにとらわれて、後退することもあるけど、長い目で見れば、相対主義者が言うような、人間の文明はその時々の独立した価値感に支配され、それぞれの時代はいいも悪いもない、というような状態では決してない。文明は、良心は、殺したり犯したり盗んだり裏切ったりする本能と争いながらも、それでもより他愛的に、より利他的になるよう進んでいるのだろう。