さよならは別れの言葉じゃなくて、「なにか」の言葉か、或いは別れの「なにか」か、もしくは「なにか」の「なにか」である

 明け方、布団の脇の虫かごの中で先日捕まえたコクワガタのメスがブンブンいっている。どうやら虫かごの外に出たいらしい。ならばと眠い目のままで窓の外の植木鉢の上に放してやる。遠くには朝焼け。再び寝て、起きて窓を開けたらもういなくなっていた。もしもまだいたら、またかごに入れて飼育しようと思っていたのに。たった数日の同居人。そういえば彼女にはまだ名前をつけていなかったっけ。
 給料日前に若干余裕があったので「現代詩手帖」7月号購入。半信半疑くらいで読んでみよう。
 偶然、大学時代にものすごくお世話になった先輩二人からメールをいただく。そこでふと思い出したのだけれど、いま住んでいる横浜の部屋に一度だけ大学の時の友人が訪問したことがあるのだけれど、部屋に入るなり「お前あの頃と全然変わってねえなあ!」と爆笑されたのだ。そこで見回してみるに、六畳一間の和室、テーブルからテレビ、パソコンは言うに及ばず、カーテンから本棚、座布団カバーに至るまで国立当時と全く同じものを使用しているので、そりゃあまあ変わってないだろうと。むしろこちらにしてみたら、生活の環境ってそうそう変わるもんじゃなかろうと。いや、この歳にしてこっちの方がオカシイのだろうか。
 追記。と思ってたらメールがきて、上記の先輩のうちのお一方がずいぶん遠くへ引っ越すのだという。なかなかに会えない。も〜お、世の中って焦らせるなあほんと。