ひとまずまとめ

 地震が起きてからあれこれ考えたことをとりあえずメモ。中にはここ二〜三日の間に考えが変わって今では全然違うこと考えてることとかもあるけど、ログとしていったん記録。別にブログにアップする必要はないのかもしれないけど、まあ文章にすると思いが整理できたりするかもしれないということで。地震が起きた当日の夜からとにかくtwitterはそれ関係のpost一色。その時点ではうわー大変なことが起きてしまったのだとむしろテンション高めにほぼ傍観。翌日からなんだかtwitterでの地震話題に違和感を覚え始める。あたかも地震に関すること以外のツイートをしてはいけない雰囲気。ここで詩人の血が騒ぐ。つまり、情報に還元されない言葉が構造的に排除されているのではないかと。こういった例外状態に際しtwitterがその情報拡散能力を発揮するのは素晴らしいことだし、なによりそれが誰かの指示ではなくユーザー自身の意識によって作り上げられていく様はある意味での感動を催させたりもする。けれど、それが情報として有用でない言葉の発生を無言のうちに抑圧するものだとしたら、それはちょっとどうかと。と思って敢えて地震に関係ないことツイートしたりする。これはこれで、この時点で個人的に地震に関係ないTLのpostがたまらなく心にほっと響いたからという事実もある。しかし、そうした情報に還元されない言葉の発現をtwitterに期待すること自体が違うのではともあらためて考える。それはtwitterを買いかぶっているのでは、と。もうこうなったらtwitter地震対策用の掲示板ってことでいいじゃん。言葉のあるべき場所はtwitterだけでは当然全然ないのだから。あらためていま発すべき「詩」はtwitterなんて場所ではなく別のやり方で人に届けるべきなんじゃないかと。そう考えると同時に連日連夜の状況の変化(知人の致命的な被災や帰還、自宅の停電やバイト先の二転三転する営業時間変更など)に自分も徐々に「震災状態」に飲み込まれていっているようだ。ううむ、本当はこの際に生まれた妙なナショナリズムとかにも触れておこうと思ったのだけれど、すでにしてだいぶ長くなったので今日はいったん切り上げよう。
 で、昨日。一昨日に続いて遠回りして帰る。この日は別の理由つまり送迎。なにかが固まりつつある。
 今日。計画停電は結局うちには及ばず。「エレファント・マン」観終わる。ストーリーと映像ともに良い。特典映像も良かった。昼から布団に寝転がって執筆。夕食後に短編だからとぱらぱらっと読んだ新潮四月号の高橋源一郎「星降る夜に」が今の状況とも重なってとても感動する。