簡単に

 誕生日祝いとして半分どうでもいい感じ(あげる方ももらう方もお互いに)で貰った『蟹工船』(新潮文庫)。初めて読んでみました。読後の感想として、これは単純に1920年代の「文学」のひとつの痕跡として重要な作品なのではないかと思いました。小林多喜二がこれを書いたのが26歳くらいで(あ、今の自分より下だ)、直喩の感じとかいかにも「文学青年」で、もっと生きて文章書けてたらなあと率直に思いました。内容も心にくるものではありましたが、正直いまリバイバルが起こっている理由がピンと来ないというか、まあそれは実際にリバイバルが来てるんだからピンと来ない自分の感性の方に問題があるとして、これが直接にいまのプレカリアートとか「生きさせろ!」の文脈に繋がっていく感じがいまいち掴めませんでした(ん、この文脈と「蟹工船ブーム」って別物なんですか?)。そもそもこの作品が当時のプロレタリアートにとってどれほどの反映であり影響力を持っていたかすら管見にしてわたしは知りませんし。とはいえ、現在のわたしは二十代後半にして自給850円の厳然たるフリーター。もう少し時間をおいたら『蟹工船』がぐんと身近になるかもしれません。