読書

 以前に自分が住んでいた町とゆかりがあると知りながら今まで一度も読んだことのなかった山口瞳のエッセイを図書館から借りてきてぼちぼちと読んでいます(『最後から二冊目の巻』って本)。「っていうかこの文章が書かれたのは40年前だから」ということを意識して読もう読もうとするのだけれど、あまりにもその視点が(良くも悪くも)いかにも現代的に思えて、ついつい読んでしまいます。例えば今日たまたま読んだ、そういや俺もこないだ聞いて驚いたっけと思った運動会に関するこんなこと。

 それから、春の運動会というものが、私にはどうもしっりこない。運動会は秋のものである。運動会だけではない。記念祭とか文化祭とかも春に行われる。修学旅行も春に行われる。新学期が始まってすぐの四月とか五月とかに全部やってしまう。(中略)私には、楽しかるべき学校の行事を行うのではなくて、それを早く「済ましてしまう」というふうに行われているような気がして仕方がない。
(中略)
 もっとダイナミックな中等教育ができないものだろうか。勉強と運動と遊びで生徒を夢中にさせるような教師はいないのだろうか。

この文章の初出が1966年7月30日らしいけど、繰り返すけどこれって親世代はおろかもっと上の人が書いたエッセイなわけで、ということは、国の宰相が代わろうが人間のたれる文句ってやっぱ変わんないんだなと。そういう意味でもこの山口瞳って人は日本のエッセイの礎(雛形)を作った人なのではないのかな、と。