宣言

 いっこうに小説が書けない、という状態がすでに4年ほど続いており、前からうすうす感づいてはいたものの敢えて全力で肯定はしてこなかったことがあって、それを今日、どういうわけか(あ、そういえば昨日女子と飲んで最後の最後ですげえ後味の悪いこといって電車のドアがプシューって閉まって別れたっていう、あの感じの悪さが今朝最大の憂鬱だったことと関係あるのかな。いや、やっぱ全然関係ないや)、けっこうすんなり「もうこれしかねえや」と受け入れることができました。ということで、わたしは今日から詩人になります。以下『界遊』第一号に掲載されている仲俣暁生氏と田中和生氏の対談から。

仲俣 肩書きってわかりやすい例だと思います。詩人は詩人って名乗っていいと思うし。でも絶対名刺に詩人なんて書いてないよね(笑)。
田中 いや、詩人はもう職業ではなくて生き様ですから。だから見ればわかるんですよ、詩人だって(会場笑)ほんとにそうで、本物の詩人は見ればわかります。会うとわかりますよ。

そうだったんです。ぼくは詩人だったのです。そうすればいろんなことに説明(言い訳じゃないことに注意!)がつくし、なにより今後の展望も少し安定したものになりそうです。ま、職業ではないのでまずそれでは食えませんが、それはそれ。だって詩人だから。ということで、これから自分のプロフィールには積極的に「詩人」と答えていきたいと思います。
 本日の購入本。駅前の古本屋にて、『フォーク・ソング』三橋一夫新日本出版社、1967年。200円。空いた時間にでもちょっとずつ読む感じ。もう一冊、まえからずうっと気になっていたんだけどなぜか買わなかった『骰子 NO.10』アップリンク、1995年。「特集:インターネット」。「暴力温泉芸者のネットサーフィン体験記」って(笑)。これまで90年代リバイバルって言葉をたまに聞いて、けれど「90年代」というものが自分の中でまったく総体として想像できなかったんだけれど、そうか、こういう感じなのかと。90年代というかやっぱり「1995年以降」ってことなのかな。
 それから、こないだ買った萩原朔太郎の『生理』がやっぱり面白いのと、あと、初めて見た銀杏BOYZの「ボーイズ・オン・ザ・ラン」のPVがやたらすごかったのが今日の印象でした。

3/7思い出したように追記メモ:賞味期限が「07. 2.28」のバター食べ終えた。