「今度は戦争だ!(家なき子)」

 二週間くらい前から、偶然バイトの休みがとれたし是非行こう行こう、と思っていた「雨宮処凛オールニートニッポン:『 フリーターの「希望」は戦争か? 』〜雑誌「フリーターズフリー」創刊スペシャル〜」ですが、今日になって前日までの事前申し込みが必要だと判り、自宅でのネットラジオ視聴で諦めました。(けど、実際行ったら意外と入れた気もするんだけど。そういえば渋谷UPLINK FACTORYって前に大谷能生フランス革命でも行ったっけ。どんだけ杉田俊介さん好きなんだって話ですが。)
 で、急ぐ必要もないけどとりいそぎな感想を。二時間の放送は非常に楽しく聴けました。司会の雨宮処凛さんを二人のさえない男(失礼)が囲む風景が目に見えるようで(実際そうだっかかは知りませんが)、けど、やっぱり生活体験って意味での現場の話ってのは面白いやね。聴いていて。「素人」としての共感具合がただならないっていうか。内輪の狭小さに回収されない三者の状況確認も和気藹々としていて、そういう意味ではトークライブとして音声だけ聴いていても充分楽しめました。(いくつかはっとするような発言もあったけど、なんだっけ、もう忘れてる。ま、あとになって思い出すのを待つとしよ。)
 ひとつ、いまさらですが例の赤木さんの戦争の話で以前からなんとなく気に掛かっていたことを。赤木さんの言う「戦争」ってのがイメージとしてどうしても自分には「=敗戦」に思えてしかたないのです。全部破壊されて全部平たくなってとか。曲がりなりにも戦後日本人だから戦争=敗戦のイメージでしょうがないといえばあまりにも素直すぎるかしら? けれど、戦争たって例えばその主導者たる米ちゃんは自己破壊からも平等からも程遠いし、ようするに無傷で勝っちゃうってこと。赤木さんは明らかに負けること前提の戦争だ(と感じる)けれど、ひょっとしたらもっと若い世代の人たちで「戦争やってどこぞの国ぶっ潰してもっとニッポン儲かっちゃおう!」なイメージが生まれてなくもない気がするのです。つまり前提「勝ち組」としての右ね。いわゆる「若者」の同世代内の(厳密には数年単位の異世代間の)戦争認識の違いって意外とあるのかなと。けど、やっぱそういうのも含めて赤木さんの根本的な「やさしさ」の部分なのかしら。今日聴いていてそんなのが(そうそう今日の鼎談は「世代」とか「同世代感」ってのも実はものすごく大きな要素だった気がしますが)まだ気に掛かったままでした。というのが実は論座を一切読んでいない私の印象です。あと、フリーターズフリーは書店で発売したら誰よりも早く「書店員として従業員割引を利用して購入」したいと思います。